イッツ マイライフ

第15話 講師の道へ

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挫折してからのボクは、高3の受験期よりも無気力でした。笑

高3受験期の無気力なボクはコチラ!笑



毎日、惰性で過ごしました。




ただ、部活だけは、「絶対に最後まで、選手として続けたんねん」と、意地で続けました。



ボクにとって、部活を途中で辞めること、選手以外の選択をすることは、ここまでプロ野球選手を目指し、野球を続けてきた自分を裏切ることでした。






3回生も半ばになると、就職活動が始まりました。






大学卒業後、プロ野球選手になる気満々やったボクは、野球以外の進路など考えたこともありませんでした。笑





興味本位で受けてみた企業からも不採用になり、「これからの人生どないしよかなぁ」と考えていたとき、ふと、浪人時代にジムで出会ったトレーナーさんのことを思い出しました。

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「あれだけ応援してもらったのに、あかんかったなー。会わせる顔ないわ」と、申し訳ない気持ちになったあとで、「もっと早く、トレーナーさんのような大人に出会いたかったなぁ。自分の夢や目標を、本気で応援してくれる大人に、もっと早い時期から出会ってたら、自分の人生は違ったやろな」と思いました。



そして、「もしかしたら、夢や目標があるにもかかわらず、周りから否定されたり、笑われたりすることで、諦めてる子たちはいっぱいおるんちゃうか。それやったら、トレーナーさんにしてもらったように、今度はボクが子どもたちの夢や目標を本気で応援したろ」と、教壇に立つことを決めました。




それからは、教育系企業の採用試験を複数受けました。




最終的に、大学卒業後の指導環境は、“地元・関西での大学受験指導”、“新天地・東海での小中学生指導”の2択で悩みました。



たった1年だけでしたが、自分が大学受験に向けて必死に勉強したこともあり、思い入れもあるので、卒業後、ボクは大学受験指導を主とした塾で、現代文講師になりたかったのです。



でも、東海の小中学生指導の塾には、2009年時点で、電子黒板や授業録画用カメラなど、最新機器を導入した指導環境がありました。



特に、カメラで授業を録画できることが魅力的でした。



自分の授業を客観的に見たり、よいとされる先生の授業を見たりできるからです。



また、研修についても、誰もいない教室でエア授業をしたり、先輩講師にエア授業を見てもらったりと、説明を聞いているだけでも「イヤやな」って思いました。笑



ただ、ちゃんとやれば自分の授業は絶対に上達するなとも思いました。




このときのボクは、一生を“講師として生きるつもり”でした。




だから、最初に形式的なものをきちんと身に付けた方が、長い目で見たとき、自分が高いレベルの指導をできると判断して、新天地・東海を選択しました。






つづく

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