ボクたちが練習試合をした、関西学院高等部のグラウンドの横には、大学野球部のグラウンドがありました。
グラウンドのネットには“神宮へ”という言葉が掲げられていました。
そのグラウンドで、大学の野球部員たちが、延々と走っていました。
試合後のボクらのミーティングが始まる前から、ミーティングが終わり、制服に着替えて、帰る準備ができても、まだ走り続けていました。
当時のボクは、卒業したら「楽そうなところに就職する」くらいしか考えていませんでした。
だから、大学へ行くつもりも、野球を続けるつもりもありませんでした。
そうやって練習している大学生を見ながら「よう走るわ。絶対にイヤやわ」って思っていました。
その光景が、ふと頭に浮かんできて、自分が「こんなに練習するんか」と思った環境で、野球をしたいと思いました。
妥協することなく、「自分はここまでやったんだ」と思えるまで、野球に取り組もうと思い、それを実現できる環境を選びたかったのです。
あとは、大阪という地を出て、誰もボクのことを知らない、新しい地で、これからの人生を踏み出したいという気持ちもありました。
だから、親には無理を言って、下宿させてくれるように頼みました。
ボクが公立から私立へ進路を変更することについて、すぐに家族会議が開かれました。
まぁ、家族会議といっても、ボクの意思を伝えるだけでした。
親父とおかんも、言い出したらきかないボクの性格を知ってか、すぐに了承してくれました。
ちなみに、高校入学から高校3年生の12月まで、ボクはまったく勉強していません。
テストの解答は、数学はすべて“0”、世界史は記述式の解答はオール“ナポレオン”、記号式の解答はすべて“イ”もしくは“2”でした。
自己ベストは、100点満点で数学Ⅱ“6点”&数学B“2点”、200点満点にして“合計8点”でした。
もちろん、ボクの解答は全部“0”です。
たまたま、数学Ⅱ、Bにそれぞれ、“答えが0”の問題があって、配点が6点、2点だったので、この点数でした。笑
さすがの親父もこの点数には呆れてましたね。笑
もちろん、クラスでも40人中40位ですし、学内偏差値は28です。
何の自慢にもなりませんが、偏差値28は100人に一人の逸材です。笑
つづく