中学校の野球部では、パッとした実績を残すことのなかったボクですが、中学校3年生になって、塾の面談で志望校を聞かれたときに、「平安高校へ行って、甲子園に行きたい」と答えました。
すると、びっくり、平安高校のような甲子園の常連校の野球部に入るには、中学校の頃から、クラブチームに所属し、スポーツ推薦などで入学しなければいけないということを、そのときにボクは初めて知りました。
ボクは平安高校へ進学することを、あっさりと諦めました。
当時のボクは、その気になれば、どの高校からでも甲子園に行けると思っていたのです。
高校入学後まもなく、「甲子園行くには、甲子園に行けるような高校に行く必要があった」と、気付きました。
そして、「甲子園に行けるチームで活躍するためには、中学生のときにクラブチームに行かなあかんかったし、そのためには小学校低学年から野球をやっとかなあかんかったやん…。そしたら、自分はもっと野球が上手かったはずやのに…」と、自分のこれまでの人生を、めちゃめちゃ悔やみました。
これが、16歳になる頃のことでした。
「人生やり直したい」
そんなことをずっと考えていました。
高校2年生の時、クラスの友達とたまたま甲子園の話題になりました。
“甲子園”という言葉を、久しぶりに聞いたボクは、ハッと我に返った気持ちになりました。
自分が小学校のころから、甲子園に憧れていたことを思い出したのです。
「甲子園を目指せるチャンスって、今しかないよな」と、それからは必死に練習しました。
夏の大阪予選が始まる約2か月前、高校3年生の5月。
「甲子園に行く(大阪大会で優勝する)には“才能×志×練習量”の総量が、大阪で一番にならんとあかんのや。ほんで、甲子園に行くために、自分よりも才能のある選手が、中学校の頃から、『甲子園に行くぞ』『全国制覇するぞ』『プロ野球選手になるぞ』っていう志を持って、日々めっちゃ練習してきたんやな」と、やっと気が付きました。
その瞬間、「才能、志、練習量のすべてにおいて、自分は強豪校の選手たちには及ばへん。絶対に甲子園には行かれへんわ」と悟りました。
最後の大会は、初戦で敗退。
こうして、“甲子園で優勝してガッツポーズする”という目標を実現することなく、ボクの高校野球はあっさりと終わりました。
つづく