中学校2年生の途中から、蛭子屋さんのノックはパタリとなくなりました。
そして、何となく蛭子屋さんの出勤回数も減ったような気がしていた、中学校3年生のある日。
蛭子屋さんが別の中学校へ移ったことを知りました。
しばらくして、蛭子屋さんは亡くなったと聞きました。
ボクは蛭子屋さんのお葬式に参列できず、お墓の場所も知らず、未だにお墓参りもできていません。
それでも、ボクが高校や大学の野球部に入ったとき、「蛭子屋さん、ボクは野球を続けてますよ。見ててくださいね。がんばりますから」と、いつも報告していました。
野球をしていて、上手くいかない、辛いことがあったときも、「蛭子屋さんなら、結果云々よりも、ボクが野球を続けていることを、喜んでくれている」と、自分を奮い立たせていました。
今でもたまに、「ボク、大学まで野球を続けましたよ」って、蛭子屋さんに報告するほどです。
蛭子屋さんであれば、ボクが大学の最後まで野球を続けたことに対して、「よぉがんばった!」って、褒めてくれる気がするからです。
一時期は、蛭子屋さんのお墓参りができていないことを、後ろめたく思っていたこともあったのですが、最近では考え方が変わりました。
今も、ボクのなかで、蛭子屋さんの教えは生き続けています。
「勉強も練習も人の3倍!」
「がんばれよ!!」
「よぉがんばった!!!」
そうやって、叱咤激励してくれる蛭子屋さんが、ボクのなかにいます。
そんな蛭子屋さんは、「墓参りなんかいいから練習せぇ」って言う気がします。
だから、ボクも、蛭子屋さんを思い出したとき、心のなかで手を合わせることが、ボクの墓参りでいいやと思っています。
「蛭子屋さん、ボクも野球を辞めてしまいましたが、日々がんばってますよ」って。
新しい目標へ向かって、進み続けることが、何よりの蛭子屋さんの墓参りであり、蛭子屋さんも喜び応援してくれていると、ボクは思っています。
つづく