再び出会ったとき、蛭子屋さんはやっぱり、公道&コンクリートの上でノックをしてくれました。笑
ボクが捕球し損ねたボールが、そのまま後ろに転がっていくことがありました。
バンッ!
バンッ!!
バンッ!!!
と、後ろにある電気屋さんの営業車にぶつかるんですよ。
軟式の野球ボールが。笑
小学校5年生ながら、「さすがに、これはマズいやろ」と思っていたら、やっぱり、激怒したおじさんが出てきました。笑
もちろん、怒りの矛先はノックをしていた蛭子屋さんへ。
「どんな対応をするんやろか」と思ってたら、蛭子屋さんは、ただただ平謝りしてました。笑
その日、ノックが終わったあと、蛭子屋さんは、中学校の宿直室へ案内してくれました。
中学校の宿直室で、蛭子屋さんは、ボクにインスタントコーヒーをご馳走してくれながら、社会人まで野球を続けていたこと、戦争で満州に行ったことなど、蛭子屋さんがこれまでの人生で経験してきた色々なことを話してくれました。
それ以来、中学校のグラウンドで、蛭子屋さんにノックをしてもらい、宿直室でコーヒーをご馳走になりつつ蛭子屋さんの話を聞くというのが、小学生ながら、ボクの楽しみになりました。
蛭子屋さんの話を聞きながら飲むインスタントコーヒーは、ボクにとってはご馳走でした。
とても温かく、とてもおいしいものでした。
幸運なことに、蛭子屋さんとボクの関係は、中学生になっても続きました。
中学校の野球部の友達と一緒に、午前5時からノックを受けたり、紅白戦をしたり、日曜日の誰もいない中学校を借り切って鬼ごっこをしたり、学校の廊下で電動自転車に乗せてもらったりと、蛭子屋さんと出会えたからこそ、経験できたことがたくさんありました。
蛭子屋さんは、ノックが終わると、いつも「好きなジュースを買ってこい」と、1000円札をくれました。
蛭子屋さんを囲みながら飲むジュースが、まためっちゃおいしいんですよ。
そのジュースが楽しみでノックを受けてましたね。笑
雨の日で、グラウンドが使えない日でも、蛭子屋さんの宿直室へ、一人で行ったこともありました。
「中学校2年生になると、彼女を作って練習せんくなる。そうなったらあかんぞ。あとは、高校になっても野球を続けないかん。みんな中学校で野球を辞めてしまうが、それじゃいかん」と、よく言っていました。
口癖は「勉強も練習も人の3倍」でした。
蛭子屋さんからは、“続けること”や“量を積み重ねること”の大切さを教わりました。
ボクにとって、尊敬できる指導者でした。
つづく