野球を好きになってから、夏休みは、一日中テレビで、高校野球を観戦していました。
1997年、ボクが小学校5年生の夏、京都の平安高校が甲子園で準優勝しました。
そのときの選手を見て、ボクは“ピッチャーというポジション”と“平安高校”に憧れるようになりました。
そして、自分もすごいピッチャーになって、甲子園で活躍したいと思うようになりました。
翌年、1998年。
今も語り継がれる、準々決勝、“PL学園vs横浜高校”をテレビで観戦しました。
ボクは、地元のPL学園を応援していました。
今では、大阪の強豪校といえば、大阪桐蔭高校が頭一つ飛びぬけて強いですが、当時はやはり、大阪といえば“PL学園”でした。
だから、そのPL学園が負けたことに、当時のボクは驚き、ショックを受けました。
その一方で、そのPL学園に勝った横浜高校は本当に強いんだなと思いました。
準決勝“横浜高校vs明徳義塾”も、テレビで観戦しました。
7回終了まで、0対6で横浜高校が負けていました。
8回表に、松坂投手が登板し、球場の雰囲気が一変します。
球場全体が、横浜高校、松坂投手を応援するといった、異様な雰囲気でした。
8回裏の攻撃で、横浜高校が4点を取り、点差は2点となりました。
テレビを通して、小学校6年生のボクが見ていても、「横浜高校が逆転勝ちする」と思えるほどの球場の熱気でした。
やはり、結果は横浜高校の逆転勝ち。
そして、決勝戦で、最後の打者を空振り三振に抑え、後ろを振り返りガッツポーズする松坂投手に、ボクは釘付けになりました。
松坂選手のように、球場にいる人たちだけでなく、テレビで見ている人、老若男女問わず、人々を魅了し、夢や希望を与えることができ、その場の雰囲気を一変できるような野球選手になりたい、スーパースターになりたいと思いました。
こうして、“甲子園で優勝してガッツポーズする”、“プロで活躍する”という2つの目標が、小学校6年生のボクにできたのです。
つづく